December 29, 2022
お誕生日おめでとう、自分。
September 24, 2022
一時帰国の件。
しばらく日本で働いていたので「一時帰国」の感覚から遠ざかっていましたが、久しぶりに「一時帰国」。4か国目の海外暮らしがちょうど1年になりました。
およそ1か月の予定で、実家のある福岡と、東京と。
胃と大腸の内視鏡検査を含む人間ドック。胸部レントゲンの怪しい写り込みは、その日のうちにCT撮影してもらえて助かりました。
歯の治療。通常なら7回くらい通院する治療内容を3回で。小林先生、いつもありがとうございます。
皮膚科も。水虫かと思っていたところは、そうじゃなかったです。
東京の本社に顔出して、報告と相談。
3月に亡くなった友人の葬儀に行けなかったので、遺灰を預かっておられる彼のお姉さんのところにご挨拶。
実家。父と、柴犬のマルと、母の三回忌。甥っ子と焼肉。
ロイヤルホスト、28蕎麦、カステリーナ、餃子の福包、三是寿司、神戸屋、ぱいかじ、ディストリクト、第一玉屋寿司、ウエスト、アイヤラー、聘珍樓、十六番館、ブルックリン・パーラー、峯松本店、江藤家、南国酒家、ふもと赤鶏、ごはんなかよし、さんさん、セガフレード、伊勢屋、濠、真田、ターリー屋、ライフ・サン、アネアカフェ、稲田屋はなれ、バンコクガーデン、龍、ジョーカー、ロティセリエ・ブルー、サイゼリヤ、梢、一品香、亜李蘭別邸、牛時。
ふじもとさん、たかおさん、なかむらさん、ふじもとさん、あそうさん、みやたさん、はばさん、ありまさん、こたにさん、たまおきさん、たなせさん、もりたさん、みやけさん、わきざかさん、つちやさん、なおこちゃん、あさこちゃん、ななちゃん、はるくん、おとうさん。
お腹いっぱい、胸いっぱいの一時帰国。みなさんありがとうございました。
また一頑張りしてきます。
March 31, 2022
(追悼)Nのこと。
咄嗟のことに何も言えなくて、ようやく出てきた言葉がそれだった。
ビデオ通話で話したい、そう言われて何事かなと思ったら、
「Nが亡くなりました。」
と彼は言う。見ると泣き腫らした目をしてる。
そうか、こういう時は泣くのか。でも、唐突すぎて、何の反応もできない。
「困ったな。」
そう、困るんだ。Nがいなくなると。
僕が、よりによってこの新型コロナの折に海外赴任しようとしてあちこちで足止め食らって、赴任したらしたで今度はそこから出れなくなって、そんなこんなでしばらくNには会えていなかった。もしかして1年近く会ってないのか。
でも、Nを拠り所にしてたんだ、実は。
「これは今度会う時に。」
「これ、聞いてみよう。」
「これ自慢してやろ。」
いつもNの存在があったのに。やいのやいの言いながら、結局頼ってたのに。
* * *
Nとは大人になってから親しくなった。近くにいるから、級友だからと親しくなる子供の友達ではない。大人になって、ちゃんと自分が自分として独り立ちしてから親しくなった。そういう貴重な友人だった。
僕とはタイプの違う人種だったけど、逆にそれが良かったのかもしれない。ベタベタするわけでもない、大人の友達の距離感が良かったのか。
そして、僕はNとたくさん旅をした。
石垣島、波照間島、八丈島、ジンバブエ、アゾレス諸島、谷川岳、ラダック。。。
新型コロナのせいで出入国制限が厳しくなってしばらく旅には出られてなかったけど、今僕がいる国の国境規制が緩和されたら、真っ先に来るのはNのはずだった。その時はNのパートナーも一緒の予定だったよな。
Nは、昔、僕と知り合うよりも前、この国に来ようとしたけど都合が合わなくて目的地を変更したことがあったという。でも、旅先の情報収集はしていて、その時入手したというこの国の立派な地図を、僕の赴任に際して餞別がわりに持たせてくれた。
なんだよ。遺品じゃないんだからさ。
最後に一緒に旅行したのはラダックってことになってしまうわけ?
Nが病院に入ったというその日も、僕のLINEメッセージには普段と変わりない返事をしてたじゃないか。
渋谷で、新宿で、数えきれないほど、毎週のように飲んだじゃないか。そうそう、桜の季節には、今はもうないあの渋谷のバーによく行ったよな。窓から満開の桜がよく見えた。
* * *
Nは中島みゆきのファンで、地平線しか見えないようなアフリカの平原の一本道を2人でドライブした時も、Nはカーオーディオで中島みゆきを流した。なかなかシュールな時間だったよ。
そうか、中島みゆきか。Apple Musicで探して運転しながらかけてみると、訳がわからない涙が出る。運転できないじゃないか。
困るよ、いなくなられると。